「ねえ、確か明日って私たち二人とも休みだよね?」
傍らでカルテを整理する鈴仙さんがそう尋ねてきた。
ここは永遠亭の診察室。今日の外来担当は俺で、先ほどようやく最後の患者さんの診察が終わったところである。あたりにはもう夜の帳が落ちようとしていた。
季節は既に秋を迎え、山が紅く萌え出す頃合。気温が下がってくるために風邪をひく患者が多くなる時期でもある。
「あ、そうだね。二人で休みが合うのは久しぶりか」
俺は最後の患者さんのカルテを記載しながら、答えを返す。
鈴仙さんとは幻想郷にいるときからの付き合いで、恋人としての付き合いを始める前から家族に近い関係性だった。仕事や食事、その他の日常の中で普段から穏やかに一緒の時間を過ごしているわけだが…最近は少し状況が変わってきたのだ。
師匠が俺のことを薬師として認め、仕事を任せてくれるようになったのは非常に嬉しいし、とても誇らしい。(お給金もかなり上がったし)
たが…その弊害として、仕事のローテーションに組み込まれたために鈴仙さんとの共通の休みがとりにくくなってしまったのだ。しかも「毎週の争奪戦で勝った方の拠点にキキョウが一週間滞在する」という三人での取り決めのため、鈴仙さんとの時間はさらにとりにくくなった。(キキョウとしてはどちらといても幸せだし、鈴仙とは白玉楼に滞在中も仕事で顔を合わせるためあまり気にしていないが、鈴仙側からすると少々…いやかなり思うところはあるのだ。)
そんな状態での、久しぶりの二人重なった休み。この期を逃す手はないのであった。
「折角だし、明日はどこかに出かけよう!」
「そうしよっか。今の時期だと……紅葉が綺麗かな?」
「いいねっ。明日は早起きしなきゃ!」
ルンルンと見るからに機嫌のよさそうな鈴仙さんに、思わず頬を緩める。
「――あ、そうだ」
書類整理を終え、足取り軽く去っていこうとした鈴仙さんがくるりとこちらを振り向いた。心なしか頬が赤い。
「明日休みなら――今夜、どう……かな?」
「明日早起きするんでしょ!嬉しい誘いだけども!」
ちぇー、と唇を尖らせる鈴仙さんの頭を苦笑いしながら撫でると、彼女の不機嫌な顔がすぐに緩む。可愛いなあもう。
仕事を片付けた二人は明日のデートに心を躍らせながら、夕食の準備に取りかかるのだった。
翌朝。
太陽が空を照らし始める早朝、いつもよりこころもち早めの時間に設定されたアラームが、二人の寝室で哀しく響き渡っている。
実はキキョウも鈴仙も朝はそこまで強くないのだ。
キキョウは幻想郷に来た当初は内に押し込められた世界の悪意に苛まれ、午前3時にはうなされて起きる、という生活をしていたが、世界の悪意を消化しきった今となっては安眠を妨害するものはない。良く休めるようになり精神も安定したのは良いことだが、このように寝坊することもままあるのである。
結局、二人が起きて行動し始めたのは、予定よりも2時間遅れた朝の8時からになるのだった。
「うう~っ!寝坊してなかったらもっとちゃんとお弁当作れたのにっ」
「いやまあ……姫様がおかずにタケノコの煮つけとか作ってくれてて良かったよね。あんまり準備に時間かかると遊ぶ時間短くなるし」
「そうだけどー!でもこう……朝の残り物じゃなくて、もっとおしゃれで可愛いお弁当にしたかったの」
美味しく食べれればいいと思うけどなあ……と、キキョウは胸の内で呟きながら、秋用の防寒着を羽織った鈴仙と、色鮮やかな紅葉の積もる登山道を歩く。
妖怪の山もすでに秋半ばを迎え、木々は葉っぱを思い思いの色に萌えあがらせていた。赤、黄、橙色の落葉が風に踊り、なんとも幻想的な風景を生み出している。
「それにしても……きれいだねえ。秋姉妹様々だね、キキョウくん!」
「秋姉妹……秋の豊穣と紅葉の神様だったっけか。確かファナは知り合いなんだよね?」
キキョウの問いに、内なる同居人のファナ――【無垢の神】アファナンセ・フロイエは、薄緑色の燐光を纏って、キキョウの頭から顔を出す。
「そうなのです!私よりもずっと位が高い神様なのですけど、良くかわいがってもらってたのですー!」
「はぇ~、そうなんだ。そんな偉い神様とは思わなかったよ」
「神様も人間も、幻想郷で生活する以上は平等に一住民だからなあ」
ファナも交えた3人できゃいきゃい言い合いながら、妖怪の山を登って行く。ただし、あんまり上りすぎると天狗たちに見とがめられてしまうので、高さには気を遣いながらデートを楽しんでいた。――の、だが。
「ええい貴様ら!ここを天狗の縄張りと知っての侵入か!?疾くここから立ち去れ!」
目の前には刀をこちらにつきつける白狼天狗。どうしてこうなった。
「ええい貴様ら!ここを天狗の縄張りと知っての侵入か!?疾くここから立ち去れ!」
妖怪の山で仲睦まじく紅葉を眺めていたキキョウと鈴仙に、刀の切っ先とともに鋭い声が突きつけられる。妖怪の山を縄張りにする天狗たち、その末端である哨戒天狗の犬走椛がそこにいた。
「どうしよう、キキョウくん……!」
いきなり敵意を向けられた鈴仙は、おびえた顔でキキョウを見つめる。そんな彼女を安心させるように微笑んでから、キキョウは犬の尾を逆立たせる彼女に言葉を返す。
「侵入……っていうけども。確か天狗の縄張りってここから30mくらい登ってからじゃなかったっけか。ここはまだ一般開放されてる区画だと思うんだけど、違うかな?」
「なッ、なぜ貴様がそれを知って――ゲフン!! いや、そんなことはどうだっていいのだ、とにかく疾く失せろ!」
「やっぱりか~。これは……上司にクレーム案件かなあ」
キキョウはにっこり笑いながら、見せつけるようにケータイを取りだし、椛に見せる。遠目で画面を見た彼女は、明らかに顔を引きつらせる。
画面には――【通話中 射命丸文】
『あやややや……すみませんねぇキキョウさん。ウチのバカタレがご迷惑を」
「いえいえ。とりあえずあの子を何とかしてもらえます?」
『ええ、ええ。分かっています。申し訳ないんですけど、椛に代わってもらえます?』
了解です、という返事とともに、顔を青ざめさせてかたかた震える椛に満面の笑みとともに携帯を渡す。携帯を受け取った椛は二人からそそくさと離れて木陰で話し始めた。「やっぱりキキョウくんって敵に回したくないなぁ……」
「……やっぱりちょっと性格悪いかな。いくらデートに水差されたとはいえ、上司にチクるのはやりすぎたか」
見れば、木陰からちらりとはみ出している尻尾は、見る見るうちに萎えていくではないか。恐らく上司からガッツリ説教されているであろう彼女を見て、鈴仙は若干いたたまれない気持ちになった。
「まあ、こんなことにならないように、昨日のうちに文さんから縄張りの範囲を聞いておいたんだよね。本当は刺激しないはずだったんだけども……なんで絡んできたのか」
「ら、ラブラブなカップルがいちゃついてるのを見て腹立ったから……とか?」
「あ、それかもしれない――って鈴仙さん。自分で言って自分で恥ずかしがるのやめてよ。こっちまで恥ずかしくなってきたでしょうが」
そんな会話をしていると、木陰から椛がよろよろと現れ、幽鬼のような足取りでこちらに歩いてきた。椛が力なく差し出すキキョウの携帯を受け取ると、目に涙をためた彼女が悔しそうに口を開いた。
「こ、こ、この度は……私の勘違いで大変不快な思いをさせてしまい……申し訳ございませんでした……お詫びに、天狗の縄張りで最も景色のよい場所に、ご案内させて……いただき……ます……」
消え入るような声で謝罪された二人は、流石にちょっと罪悪感を覚えるのだった。
「「おお~~っ!!! すごい景色!」」
上司に失態をチクられてがっくりとうなだれる椛に連れられて、キキョウと鈴仙の二人は天狗の縄張りの中に作られた建物の最上階に案内されていた。ほぼ山の頂上に位置するそこからは、燃え上がる木々の様子や山に流れる清流、さらには麓の人里まで、全てを一望できる素晴らしい景色が広がっていた。
「そうだろう……ここの景色はなあ、天狗たちの間でも絶好のデートスポットなんだ。本来はよそ者が入ることなんてありえないんだぞ……」
「いやあ、そんなに喜んでもらえたなら、私も職権乱用した甲斐がありましたねえ」
椛の傍らには途中から合流した文の姿もある。こう見えても彼女は天狗の中でもかなり高い地位にいるため、多少のわがままは通せるのである。もっとも、他の天狗たちも永遠亭の医術にはお世話になっているため、二人はかなり好意的に迎えられた。
「すごいね、鈴仙さん。こんないい景色が見られるなんて思わなかった」
「うん……ずっと、できればずっと、こうしていたいね……」
そっと手を重ね、この世のものとは思えないほど壮観な景色を見ながら、二人は幸せを噛みしめるのだった。
「じゃあ、私たちは仕事に戻りますね。帰るときは通りかかった天狗に声をかけて案内してもらってください」
「分かりました。文さん、ありがとうございました!」
文はそう言って踵を返そうとしたが、あわてて椛が止めに入る。
「あ、文様! 流石に天狗の領域でよそ者を見張りなしはまずいですって!」
「あやややや……椛は野暮ですねえ。この二人に限って見張りなんていりませんよ。私が保証します」
「文様がそうおっしゃるなら……」
文の言葉に不承不承といった体で椛は頷き、唇を尖らせながら部屋から出ていく。文も続いて部屋を出ていくが、椛がこちらを見ていないのを確認すると一度振り向き、バッチーン☆とウインクを決めた。ご丁寧にもサムズアップつきで。
「「…………」」
文が何を言わんとしているかを理解してしまった二人は、顔を見合わせて小さく笑った。
「いやあ……気を使わせちゃったなあ」
「そうだね、でも……文さんに感謝しなきゃ」
実りの秋を迎え、妖怪の山は赤く萌えあがる。
少しだけ寒い風を感じながら、二人は……どちらからともなく唇を重ねたのだった。