「キキョウ、洗い物をお願いしてもいいですか?」
「いいよ。妖夢さんは他のお仕事をやっておいで」
ここは冥界に建つ荘厳なる館、白玉楼。その厨房である。
主を含めた昼食を終えた後、外来人で永遠亭の薬師であるキキョウと、恋人の一人である魂魄妖夢は後片付けをしているのだった。
キキョウは例の【キキョウ争奪戦】によって1週間おきに永遠亭と白玉楼を行き来しているが、今週は見事鈴仙の2連勝を食い止め、キキョウ権を勝ち取っていた。しかし、流石に永遠亭の薬師としての仕事をないがしろにするわけにはいかないため、お仕事のある日は永遠亭に行かなくてはいけない。今日のキキョウは貴重な休日のため、妖夢と1日デートをすることになったのだった。
「いつもすみませんね。本当に助かっています」
「全然大丈夫だよ。ウチに比べたら全然量が少ないからね」
言われて妖夢は確かに、と頷いた。キキョウが本来住む永遠亭には輝夜、永琳、鈴仙、てゐの他にも多くの妖怪兎が暮らしているため、毎日の洗い物も相当の量になるのである。
もちろん一人でやるわけじゃないんだけどね、と苦笑して、キキョウは慣れた手付きでスポンジに洗剤を取り、手際よくお茶碗を洗っていく。広いその背中に、妖夢は―
「―っとと? どうしたの妖夢さん」
「……な、なんでもないです」
つい、キキョウの背中に抱きついてしまった。
「……あの、それならちょっと離れていただかないと、食器を洗いにくいんですが」
「いやです。もうちょっとだけ……」
顔を赤らめ、頬を膨らませながらもそれでも離れない妖夢。キキョウはしょうがないなあ、と諦めて洗い物を再開する。なんだかんだでツンデレ気質気味な妖夢は、こうして二人きりになれるタイミングでしか甘えてこないのだが――たまにこうしてできたスキマ時間には、こっそりと寄り添ってくるのである。それがとても好ましく……。
「あらあら~? 妖夢ちゃん、お楽しみだったかしら~?」
「ふぇええ!!? 幽々子様っ、いつから!?」
「そうねえ……妖夢ちゃんがちょうどくっついたあたりからかしら~」
「こ、声をかけてくださいよっ! キキョウも気づいてて黙ってましたね!?」
「遠回しに教えたつもりなんだけどなあ。ほら、【ちょっと離れて】って」
「い、意地悪です!」
とても、からかいがいがあるのであった。
白玉楼の昼下がり。秋のやや肌寒い風が吹き抜ける中、季節外れの桜が舞い散る白玉楼の庭では。
「――せやぁああッ!!」
「くぅうっ!」
キキョウと妖夢の木刀での手合わせが行われていた。
形勢は妖夢が基本的に終始優勢に攻め立てるが、一瞬でも甘い攻めをしようものなら、
「――見切った!」
妖夢の不完全な体勢からの斬り上げを紙一重でいなし、返す刀での袈裟斬りを放つ。
「――やりますね、キキョウ! 剣は専門じゃないでしょうに!」
「そっちこそ、流石本職。今のを軽々避けられたんじゃ、俺も少し凹んでくるんだ…がっ!」
カウンターでの必殺の袈裟斬りを、妖夢は超反応で大きく重心を移動させて躱す。直後、激しい攻めは一層勢いを増していく。
嵐のような連撃を打ち込み、キキョウが受けきれずに反応が遅れた一瞬のスキを逃さず、妖夢はショルダーチャージを叩き込む。
「ぐ…ふっ」
身長差の関係でちょうど妖夢の肩はキキョウの鳩尾に突き刺さり、ついにキキョウは膝をつく。キキョウは歯を食いしばりながら顔を上げたが――。
「フッ!!!」
ビシィ! と、キキョウの眉間に寸止される面打ち。
「……参りました」
「は~い、これで妖夢ちゃんの3回勝ち越しね~。でも、キキョウくんも随分食らいついてたわねぇ~。妖夢ちゃんの剣を受けきれる人なんて、幻想郷を探してもそんなにいないわよ~?」
「ええ。これで、普段剣を使わないんですから、もったいないですね」
ふう……と大きく息をついて木刀を下ろすキキョウ。その横で妖夢も同じく腰を下ろす。
「それにしても、まさかキキョウが剣まで使えるとは思いませんでした」
「木製武器限定だけどね。ファナのおかげで器用さにブーストしてくれてるからなんとか扱えてるけど、素で使えるわけじゃないからなあ」
「そうなんですね。霊夢さんも実は剣も使えるらしいですよ?いつも使ってるお祓い帽に刃がついただけ、みたいな扱い方をするので、なんとも複雑ですが」
「……あの人は本当になんでもできるな」
午後を稽古を終えたキキョウたちは、汗を流しに浴場へ急ぐのだった。
「「ふぁぁぁ~~!!!」」
白玉楼の片隅にある浴場は、永遠亭の大浴場のように規格外に大きいわけではないが、大きな桶のような和風のお風呂はこうして二人で入っても十分に余裕がある。
お昼のお稽古やお仕事を終えたキキョウと妖夢は、湯浴みに興じているところである。
「いやあ、キキョウがいてくれると庭師のお仕事の方もはかどりますねえ。お仕事もお手伝いしてくれますし、なにより木々がみんな喜んで元気になります」
「そう言ってくれると嬉しいよ。俺もファナの大樹のお世話してるのが役立ってよかった」
キキョウが照れくさそうに言うと、キキョウの頭から薄緑色の燐光が飛び出してくる。お風呂の湯気にファナの燐光が溶け込み、まるでイルミネーションの一部のようだ。
「木々が喜んでるのは多分私のおかげなのですっ!私も一応木のカミサマなのですっ」
わかってるよ~とキキョウが軽く燐光を撫でると、ファナは満足したようにキキョウの体の中へと戻っていく。
「まあ……逆に幽霊たちの方を少しざわめかせるから、ちょっと申し訳ないけどね」
「べ、別にキキョウが悪いわけじゃないですし……仕方ないですよ」
白玉楼には多くの幽霊たちが漂っているが、キキョウには霊をひきつけてしまう体質があるためにどうしても幽霊を刺激してしまうのだ。
転生や閻魔の裁きを待つ幽霊たちなのでいつものようにやっつけるわけにも行かず、このときばかりは幽霊の管理人の幽々子や妖夢の手を煩わせてしまう。
「それ以上にいっぱい働いてくれてますからね。私達としても大助かりです!」
それに……と妖夢は続け、お風呂のお湯をゆっくりとかき分けて、キキョウの眼前まで近づいてくる。乳白色のお湯に隠れて見えないとはいえ、一糸まとわぬ妖夢に接近されたキキョウは流石に顔を赤らめてしまう。
「私……こうしてキキョウとイチャイチャできるの、とっても嬉しいです」
満面の笑み。直後、小さくて形の良い唇が、キキョウの口に押し当てられる。
ついに我慢ができなくなったキキョウは、妖夢の小柄な体を抱きしめるのだった。
「……というか今更だけど。今日一日ってデートって呼んでよかったのかな。いつもどおりお仕事してお稽古してお風呂入っただけだし」
「何を言っているんですかキキョウ。お休みの日に一緒にいた。それだけでデートですよ。少なくとも、私にとっては」
時はすでに夜の10時過ぎ。お仕事を終えた妖夢とキキョウは、少し早いながらも寝室に2つ並んで敷かれたお布団の中へとそれぞれ潜り込んでいた。
結局一日白玉楼の中で妖夢のお仕事を手伝って過ごすことになったが、妖夢との濃密な時間は確かに作ることができたのだった。
「よく考えたら、師匠から人里には行くなって言われている以上、デートらしいデートって難しいんだよねぇ。せいぜい、どこかに景色を見に行くくらいしか……」
「そんなに気にしなくても構いませんよ。私は今日一日とっても楽しかったですし。むしろ、休日なのに働かせちゃってすみません」
別にいいよ、とキキョウが笑みを返すと、妖夢も同じく笑顔を見せる。キキョウはこうした妖夢の真面目なところが好きだった。
「そういえば、妖夢さんって未だに俺に敬語で話すけど、呼び方だけ呼び捨てだよね?あれってなにか意味があるの?」
キキョウの問いに、妖夢は突然あたあたとわかりやすく狼狽し始める。
「そ、それは……その。初めて会った時は、私はキキョウのことを、鈴仙さんを押し倒しやがった強猥魔だと思っていて、それで呼び捨てしてたんですけど……。なんだか戻すタイミングを失ってしまって」
それを聞いたキキョウの脳裏に、妖夢ちゃんとの最悪の出会いがフラッシュバックする。出会って3秒で抜刀されたときには、わけも分からず世界を呪わざるを得なかった。うん。
苦虫を噛み潰したような顔を浮かべるキキョウに、妖夢もまた微妙な顔で続ける。顔を少し赤らめながら。
「で、でも……私が呼び捨てするのはキキョウだけ、なので。私の【特別】ということで……納得していただけません……か?」
枕に顔をうずめ、消え入るような声で話す妖夢。何だこの可愛い生き物は。
「……妖夢さん。こっちおいで?」
隣のお布団に入る妖夢を、思わず誘ってしまう。
妖夢は小さな声で「お邪魔します……」とつぶやいて、その小柄な体をキキョウのお布団に滑り込ませた。
優しく抱き合い密着している胸から、薄い寝間着を通してお互いの心音を交換する。
どちらからともなく、そっと唇を合わせ――
まだまだ長い夜が始まったのだった。